ろばくん ROBA DIARY

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3月31日 Sun

 図書館に行くほかはどこにも出掛けず、3食全部家で作って食べる。そんな一年に一度あるかないかの日曜日。菅原さん(詩森夫)が借りてきたCUBEを最初のほうだけ一緒に見るが、つまらないので読書。で、ビデオ屋に返しに行くのについていったら、小さいビデオ屋の割に詩森の好みの映画が並んでた。今度、わたしも借りてみよう。そんなこんなで3月も終わり。

3月30日 Sat
 
 今日は菅原さん(詩森夫)の友人の知り合い、SWATのお芝居を見に本多劇場へ。初めて見たのだが、そして趣味じゃないだろうな、と見る前から思ってはいたのだが、地獄のようなつまらなさであった。この芝居に夫婦で8千円の出費は痛すぎるよ。見終わってグッタリ。
 グッタリはしていたが、このまま家に帰っても気持ちが暗くなっていくばかりだ、と気を取り直して渋谷に「アメリ」を見に行く。これがさ、面白いだろうな、とは思っていたけど、昼間の分を取り返してあまりある面白さであった。ジャン・ピエール・ジュネは大好きな監督で、趣味の問題だけなら「ロスト・チルドレン」のほうが好きだったりするのだが、「アメリ」はこの手の映画としてはパーフェクトと言ってもいい出来ではないだろうか。大島弓子にエグみを足したような世界とでもいうのか、そんなものを実写でやってしまうのが、スゴイ。そして「アメリ」を見た全ての婦女子が思うように(男子も思うのかもしれないが)、恋がしたくなりました。春だしな。映画はやっぱり面白いなあ、というワケで、次は「シッピング・ニュース」に行くわ。

3月29日 Fri

 寺田くん、愛ちゃんとク・ナウカ「生きている小平次」。あの法政の学館ホールで3人芝居。どうなることやら、と思ったら、これが、ものすごく面白かった。ここ最近のク・ナウカの中でも傑作の部類ではないだろうか。美加理さんと阿部さんそして大高さん、雑音がないんだよなあ。力のある役者さんてスゴイ。
 そして、詩森身辺では「素晴らしい」とウワサの三条会。初観劇。もう少し小さい空間で見ればまた違った印象だったと思うのだけど、何かが圧倒的に足りていないかんじ。音と灯りが素人仕事なのも致命的だし、俳優の体も声も空間に負けている。例えば冒頭のバレーだけれど、パロディだとしたら茶目っ気が足りないし、シリアスだとしたらテクニックが足りない。バレエ風の演出入れてみました、というだけでは、多少なりともバレエをやっていた人間にはかなり鼻白むシーンになってしまう。体が出来ていない。セリフも聞こえてこない。雑音が多すぎる。そしてその雑音が魅力的ではない。以下、一事が万事というかんじであった。
 こうしてみると、わたしは阿部さんと舞台を御一緒して、なんだかんだと役者に関しては贅沢になってしまったのだと思う。あの大空間、特に声を張ることもなく明瞭に通してしまうセリフ術。これからが大変だよ。と心から思うよ。ホント。

3月28日 Thu

 ワークショップ。のち新しい体制となるBSML新運営委員によるミーティング。倉迫氏がせっかく地図まで送ってくれたのに自分を過信しすぎて迷ってしまい、仕方なく家に電話して菅原さん(詩森夫)にメールをあけてもらいナビしてもらう。すると、なんでも琴ちゃんが今まで食べなかった青菜を、しかも手から直接食べたのだそうで、遅刻してものすごく急いでいるのに菅原さん(詩森夫)はその話に夢中でなかなか地図を見てくれない。「バジルをあげたら食べたんだよ」とものすごく嬉しそうだが、悪いけどこちらはそれどころではないのだ。菅原家は犬も猫も飼ったことがないそうで、初めて飼った動物が「鳥」しかも「文鳥」。夢中になるのも仕方ないが、時と場合だけは考えて欲しい詩森だ。
 そんなこんなで疲れ果て家に辿りつくと、菅原さん(詩森夫)はまた琴ちゃんが青菜を食べた話をしつづけていた。菅原さん(詩森夫)は割と無口なほうなので、余程嬉しかったに違いない。それなのに「上司がこの日記を読んでいて、琴ちゃんを溺愛しているんだって、と言われた。あんまり事実をディフォルメしないで欲しい」と文句を言うのはどうか。Wさん、溺愛は歴然とした事実です。誇張なし。まったくねえ。ほんとにねえ。

3月27日 Wed

 初めて天津丼を作った。定番と言われる料理はたいてい一度は作ったことがあるので、なかなか心躍る出来事である。天津丼は長年イメージだけで「難しいのではないか」と思い、ここまで作ったことはなかったのだが、実際作ってみると、実に簡単な料理であった。町の食堂で食べるものは甘酢が酸っぱすぎ、かつ甘すぎるのではないか、と日頃思っていたが、それが解消され、かなり美味であった。ところで最近詩森はナムルを手作りしている。これも難しくて複雑な食べ物だと勝手に思いこんでいて、作るという発想自体がなかったのだが、作ってみると拍子抜けするほど簡単である。もやしやほうれん草を茹で、塩、ごま油、これだけ。味が馴染むように手で和えるのがコツと言えばコツか。なので今日の夕食は天津丼とナムルであった。
 引きこもりはやめると言っていたのに、今日の日記も書くことは夕食のことだけ。あとは「琴ちゃん」を肩にのせ、先日読んだ「仏像がわかる本」を片手に印(仏様の手の形)を実践して覚える、というあまりに下らないことに時間を費やしてしまった。阿弥陀如来は往生のお導きを下さる如来さまだが、その印が指し示すことには、往生の形は9種類あるのである。大きく分けて上中下、とあり、その中でまた上中下と細分化されている。で、私たちが死ぬと阿弥陀如来様が現れ、その手の形でどんな往生の仕方をするかプロックサインさながらに指し示すのだという。下の下にあたると往生するのもなかなか大変なのだ。上の上だとアッという間に極楽に行けて、花咲乱れる中、神様が総出でお迎えに来て下さるそうである。なんかねえ、そんなねえ、どうよ。その死んでからまで階級制みたいなのってさ。だいいちそんなこと仏陀は一言も言ってないじゃん。
 そんな不信心な心のまま、仏像のことだけは確実に解っていく私。ああ奈良に行きたい。

3月26日 Tue

 家に帰ったら大量にDMが来ている。3月は義理のあるもの、ないもの、なんにも芝居に行かなかった。DMが来なかったから、というのもあるのだが、芝居見るのも疲れちゃってさ。でも4月はそうもいかない。ゼロの柩メンバー、阿部由輝子女王、家畜仲間の劇作家、そしてうちの松岡までもが芝居をやるのだ。行かねば。見たい映画もいっぱいある。行かねば。引きこもって本ばっかり読んでる場合ぢゃないワケだ。でも引きこもりにもそれなりの成果はあって、今日はちょっと「スッゲー」っていう小説に当たった。でも多分これは詩森の趣味にハマっただけなのでタイトルは内緒。ヒントもありません。霧雨降る日になんとも相応しい陰鬱な小説であったことだよ。

3月25日 Mon

 「女中たち」の演出プランを作る。演出プラン、演出プランねえ。そんなこんなでワークショップ。プランに即してやってみたのだが、意外やこれがイケル。いや、詩森の演出プランが、ではなくて、俳優ふたりの芝居が。このままいけばワークショップ公演も夢ではないかもしれない。帰り道では会場探しのプランを考えるその気になりやすい詩森。とゆーワケで、6月、ワークショップ公演、やりますわ。詳細決まり次第、ウェブにアップしますので、皆様、お見逃しなく。

3月24日 Sun

 自分でもちょっとどうかと思うほど一日寝て暮らす。眠っても眠っても眠い。その合間に、「逃げていく愛」という「朗読者」を書いたシュリンクの短編集と「仏像がわかる本」という本をなんとはなしに読了。「逃げていく愛」は主人公たちの圧倒的とも言える孤独癖に「これはドイツ人のメンタリティの特性なのか。それとも作者が特にヘンクツということか」といろいろ考える。その孤独癖は私自身のそれとも似ていて、何か鬱陶しい気分にもなるが、いい短編集ではあった。「トカゲと少女」という一枚の絵を巡る短編が特に印象に残った。かたや「仏像がわかる本」はほんとうに仏像がアッというまにわかるようになるすばらしい入門書。これまでブツ切れだった半端な知識が、一気に繋がり、ちょっとしたカタルシスまで味わえる。今まで仏像というと奈良、というかんじでいたが、鎌倉や東京にもいろいろ由緒ある仏像があるのを認識し、訪ねてみようと思う詩森だ。
 昼間あんなに寝たのに、12時になるかならないかのうちにまた寝てしまう。ひねもすのたりのたり。そんな春。こんな春。

3月23日 Sat

 菅原さん(詩森夫)の大学時代の友人たちの花見パーティーに同行。彼らはSF研究会の仲間である。会場となった家の奥さんの方は詩森の高校の同級生でもある。今回、新企画として課題図書付き花見という試みがなされていた。詩森も一応半分くらい読んで行ったのだが、これがどうにもこうにもつまらない作品で、この作品を推薦したIさんがその場にいた全員から「この作品はどこが面白いのか」と責められ、気の毒なことになっていた。
 泊まっていけば、と誘惑の声を振り切り家に帰り、家畜仲間でもある劇作家のラジオドラマとやらを聴く。そんなもの普段聴くこともないから新鮮。演出故かNHKという特質故か、幼児虐待というテーマながら大団円的なラストだったのと全編通して流れるセンチメンタルな音楽はどうかと思ったが、詩情のある美しいドラマであった。彼とは最近「ラディカルな物語とは」というような話をしたばかりだが、このドラマはむしろ物語としてはすごくスタンダードなものだと思う。ラディカルさが兼ね合わさられているかというとそんなことは(演出の故もあると思うけど)ない。そしてそれは別にこの物語を損なってはいない、と思う。そんなこんなで、ラディカルとスタンダード、物語とセンチメントについて考える。そこに果たす演出の役割についても考える。

3月22日 Fri

 ワークショップ。
 3時間、カラダを動かしているだけなんだけど、アッというま。いつもワッと全員でやっていることをひとりひとりにやらせると、いかに人間のカラダがクセで構成されているかわかる。丁寧に矯正していくと確実に良くなっていくんだよな。演出は当然トレーナーじゃないワケなのだが、トレーナー的な仕事ができたほうが俳優教育にはいいのだろう。ところがいったんそういう先生と生徒的な関係を役者と結んだが最後、肝心の稽古の時にもその関係性に引っ張られてしまい、取り返しのつかないことになるのもまた確か。いろいろ考え悩ましいことだよ。

3月21日 Thu

 昼間は図書館に行き、また何冊かの本を借りだしてくる。最近は書庫から取ってきて貰ったり、品川の別な図書館から取り寄せて貰ったりと図書館「通」になりつつある詩森だ。図書館を利用するようになってから心なしか金銭的も余裕が出てきたような気がするのは、今までそれだけ本代が嵩んでいたということか。ああ素晴らしき哉図書館生活。
 夜は紅王国の創立4周年パーティにお呼ばれ。下北沢GABURI。帰りはもちろん自転車で目黒川の夜桜を見ながら優雅に帰る。今年は桜、早いね。

3月20日 Wed

 カーテンの続きを縫う。ミシンもあるのだが、出すのと下糸を作るのがメンドくさくて全部手縫い。このミシンを出すのは面倒だが、手縫いは苦にならないというのは、自分でも根拠がよくわからない。そんな風にして縫い続けようやく一窓分完成。あと、一窓分。2枚縫わなくては。
 夕食はカルボナーラスパゲティとトマトとルッコラのサラダ。このカルボナーラスパゲティは昔、何かの雑誌で載っていたのをそのまま忠実に作っているだけなんだけどとてもおいしい。肝となるのはカルボソースの絡め方で、パスタをベーコンといためあわせる時に半分、盛りつけしてから半分絡めるといいのだ。料理に関して蘊蓄を垂れるというのは嫌いだが、パスタはディチェコ製がいいとか、オリーブオイルはモニーニが美味いとか、ベーコンはできたら塊で買うとか、生クリームは植物製では絶対いけないとか、食塩は精製塩ではダメとか、粗挽きコショーはここのがおいしいとか、このパスタに関しては、山のような蘊蓄がある詩森だ。最も今日はパスタはブイトーニでオリーブオイルはボスコでベーコンはスライスだったけど。そうそう、パスタはね、塩ひとつまみといいますが、海水くらいの濃い食塩水で茹でるのがコツです。その分ソースの塩分は控えめにね。

3月19日 Tue

 さて「琴ちゃん」だが、最近は外に出してもらうのがすっかり好きになった。朝など、入り口で待機してピーピー鳴いているほどである。また菅原さん(詩森夫)が留守がちの妻に愛想をつかし、近頃では琴ちゃんに惜しみない愛情をそそぎ込んでいる。出掛けるたび琴ちゃんのためのグッズを買ってきたり、琴ちゃんを放鳥したときに止まれるようにと即席の止まり木を部屋のあちこちに設置したりと、「鳥を飼う」と言ったときにあれほど反対したとはとても思えない溺愛ぶりである。
 今日、ふと見るとシャツのポケットにエサ入れを設置し、餌づけしていた。琴ちゃんも琴ちゃんでポケットのふちにチョコンと止まってエサを食べている。その光景、かなりヘンだ。だいいちそんなこと考えつくことじたい、よくわからない。今日もまた、鳥を放しながら、菅原さん(詩森夫)はなにかヘンテコなことを考えているようだった。きっとそのうち実行するに違いない。最初は「そんなことしても鳥はやらないよ」といちいち反対したものだが、部屋の止まり木で運動し、ポケットの餌をバリバリ食べる姿を見るにつけ、自信が揺らぐ詩森である。鳥の可能性というのは意外なほどに無限だ。そんな文鳥生活。そんな仙人と鳥。
 いつのまに蚊帳の外に出されてしまったことは残念だが、ふたりの蜜月を暖かく見守りたいと思うこの頃の詩森である。

3月18日 Mon

 ワークショップ。今日は座学を中心としたので、すごくたくさんしゃべった。あんまりしゃべったので、終わったとき頭がクラクラしたほどだ。主に演出の歴史とその仕事について。また具体的なテキスト(女中たち)を用いて、演出がどのような方法で仕事を進めていくか、というような話。
 俳優といろいろ話してわかったことは、テキストに対して真面目だし、理解力もある程度あるが、その可能性について枝葉を広げていくような発想法が苦手だ、ということだ。たまたまそういう人が多かっただけかもしれないが。そして俳優だけではなく日本人が全体的にそうなのかもしれないが。心情的なところだけで理解しようとするので、「女中たち」のように極めて抽象性が高く、また、自由度も高い戯曲に対して、結果としてとても不自由になってしまうのだ。今日から詩森の演出プランで戯曲を進めていこうかと思っていたが、一週間、彼ら自身で演出プランを練る課題を与える。発想の訓練。理解力の訓練。これもこのワークショップのテーマである。

3月17日 Sun

 椅子ひとつで家事へのモチベーションが当社比500%くらいアップしているので、今日は朝からオープンオムレツなんてものを焼いてみる。洗い物、ためない。コーヒーだって、頼まれもしないのに入れてしまう。今日見に行く予定だった「地獄の黙示録完全版」を来週に回してまで家にいる。そんなこんなで今日の夕食は豆ゴハンと春野菜の天ぷら。当然天ツユも手作り。カーテンを縫いつつ「F1」見ていたらついついハマリ夜更かし。ミハエル・シューマッハ、マシントラブルで最下位まで落ちたのに、いつのまにか3位に。スゲー。
 ところで鈴木宗男議員のことで世の中大騒ぎだが、何か解せないことが多い。たまたま今週末は家にいたので、宗男議員疑惑の全貌を知ることになったが、金銭のことだって、ちゃんと政治資金として申告されていて(今のところ法律的には)特に問題はないみたいだ。それから北方領土の件だけど、それが公約に反するという点はともかく、返すこと以外の選択肢はおかしいというマスコミの論調もどうかと思う。北方領土を返さなくてもいいと言った→公約違反だからいけない、というのと、北方領土をかえさなくてもいい→とんでもない非常識、というのは似ているようで実は違う。と私は思う。でもゴッチャになっている気がする。わたしは北方領土返還の是非に関しては結論を出すほどの見識がないのだけど、せっかく今回問題になったのだから、自分なりに考えてみようとは思っている。
 もちろん、北方領土のことで運動している人が怒る権利はあると思う。あると思うけど。次の選挙で地元の人がどうするか、っていうのも有権者の自由だと思う。思うけど。そして、詩森も個人的には「泣くなよ」って思うけど。好きか嫌いか、って言われると、まあ、あんまり好きな顔ではないけど。そしてああいうタイプの政治家がいなくなってほしいとも思っているけれども。
 でもそれとこれとは別。立件もされてないことを、心証だけで決めてはいけない。その他、どの情報を吟味しても宗男議員が国会議員を辞める必要はない。だってどう考えてもそれほどのこと、してないじゃない。もちろん疑わしき点は徹底的に調べる必要はあり、それによっては辞任という選択肢も出てくるかもしれないけど。このままでは外務省の内部問題(ゴシップではありませんよ。システムの問題ね)についてはひとつも解決せぬまま、やはりこの国では官僚が強い、という図式を図らずも証明することになってしまう。大きなシステムの問題を個人の問題として目くらましをかけられてる現状にこそ、より視点を向けるべき。これが今のところの詩森の意見。
 そして、田中真紀子さんが「鈴木さんのような方は自民党内に残念ながらまだいる」という発言を受けて、とある識者が「そんなことを言う真紀子さんのお父さんが地元金まき散らし方の政治を築いたご本人なのに、その責任はどうなるんでしょう」みたいなことを言っていて、それも仰天する。関係ないでしょう。ないと思うんだけど。「非戦」の中では重信房子の娘のメイさんが「テロはいけない」って言っていた。それもダメなのか?ダメってことになるよね。そんなこと、ぜったいおかしい。と、書くとわたしが真紀子ファンだと思われるけど、そういうことではありません。
 あ、どーでもいいことなんだけど、今回の証人喚問でいちばんおどろいたのは、高校の先輩がいつのまにか衆院議員になっていたことだ。元外務省というキャリアを買われワイドショー等でも活躍中。ビックリ。あ、ほんとにどーでもいいね。スミマセン。そんな休日。

3月16日 Sat

 食卓用の「新しい椅子」が到着した。空間が一気にいいカンジになる。なので今日は一日掃除。ついでに大井町や天王洲のインテリアショップに出掛け、細々したものを買って部屋を整える。カーテンなんかも縫いはじめる。なんでもウチの夫は詩森がインテリアに夢中になっている姿を見るとき「だけ」は、「ああ、女の子だなあ」と思うそうである。それ以外の時はいったいどう思っているのかについてはとても怖くて聞けなかった。せっかくリビングがステキになったので、今日の夕食はカフェ飯風に。でもさ、カフェ飯って言うけどさ、アレって、定食屋のメニューをちょっとアレンジしただけ、という気がするがどうか。フランスパンにカレーかけたりさ、で、ちょっとオムレツとかポーチドエッグ添えたりさ、で、クレソンとかルッコラね。ひじきだって切り干し大根だってココットに盛れば立派なカフェ飯。そんなワケで今日の詩森カフェ飯は豚肉の生姜焼き丼。生姜焼きは普通に酒、醤油、生姜、隠し味に味噌、それからちょっと砂糖。あとすりおろしたゴマ、そんなタレに漬けこんでおいた肉をフライパンで焼く。白い丼にゴハンを盛って、ルッコラが手に入らなかったので、京野菜の水菜をゴハンの上に敷きその上に焼いた肉をのせる。その上に薄くスライスした黄色のハプリカをチョコンとのせて、最後に柚子をパッと絞る。どーだ。カフェだ。カフェぢゃないとは、言わせないぜ。今日はそんな丼と、豆腐とバンバンジーのサラダ。誰がなんと言おうとカフェですってば。

3月15日 Fri

 ortの倉迫氏とreset-Nの夏井氏とBSMLの打ち合わせ。考えてみれば3年ほど前、このおふたかたとの関わりからいろんなことが始まったのだ。実際的な打合せは一瞬で終わり、今後のそれぞれの劇団の話やら現状の話やら。倉迫氏は精力的で、去年のNLCで立てた3ヶ年計画のライン通りに着々と劇団を動かしている。その実行力たるや。「攻めてかなくちゃね」と繰り返し言っていたが、なんだか詩森は「戦っている」という感じはするが「攻めてる」ってかんじはぜんぜんしない。つまり目の前に来る火の粉を振り払うのに必死ということか。まあでもいいや。今年は引き籠もりつつアグレッシブに戦う、ということで。夏井氏はちょっと憔悴気味。30歳を越えるくらいが演劇人がほんとうに辛いのは、体験的によく解る。でも越えるといいことがあるよ、ともとても言えない。才能のある人なんだから踏みとどまってほしい、と思うのは私だけではない筈だ。それにしても、フツーに生きていくだけで自我なんてものはカンタンに崩壊しそうな21世紀。ましてや「表現」しようだなんて、ゆるやかに自殺しているようなもんだよね。小劇場スゴロクに興味はないが、表現者として生き抜かなくてはなりませぬ。戦いますよ。

3月14日 Thu

 ワークショップ。今日からゼロの柩に出てくれたほりゆりちゃんとその劇団仲間であり、山田さんのワークショップに出ていたという西村さんが来る。どーでもいいがゆりちゃんがいるだけで、空間がやたらに豪華である。今日も歩いたり立ったりしている間にアッという間に時間が過ぎてしまった。でもたった3回根詰めてやっただけで、見違えるほど美しい歩き方になった。今まで公演の稽古と重なっていることもあり、ひとりひとりが抱える問題をクリアに指摘してなかったからできなかったワケだな。これなら来週くらいからもうちょっと高度なことが出来るかもしれない。
 4月に客演があるため劇団稽古は今日が最後の松岡とふたりしみじみと飲み帰宅。

3月13日 Wed

 久しぶりに美容院に行った。今日のrythmは空いていて、とても丁寧に髪を整えてもらった。担当のナカジマさんは髪を切るのはとても好きだが、接客はあまり好きではないそうである。なので最初のうちはいろいろ話をしたが、最近は殆ど言葉を交わさず黙々と髪を切っている。話したのは最近買った椅子の話と京都の話。あまり話さないのに雑誌をくれなかったので、わたしはずっとナカジマさんが髪を切る指先やらロッドを巻く手つきを見て過ごすハメに。そしていつものことなんだけど、人がお金を払っている間とかも、後ろから髪をさわったりしている。油断すると外まで見送ってきた時にも髪を触っている。冷静に考えるとけっこう怪しい行動だ。
 その後は代官山を抜けて山の手通りを自転車で帰る。ようやくこのへんの地形を把握した気がする。それにしても最近、眠っても眠っても眠いのはなぜ?

3月12日 Tue

 ワークショップで使うテキストをさんざん考えた末、ジュネの「女中たち」にする。利賀のテキストを読んでいて、こんなの出来るのかな、と心配になったので、詩森のテキストを使うのはやめて、女優ばかりでできるこのテキストを選んでみたワケだ。さわりの部分を渡して軽く読み合わせ。けっこう頭を抱えるシロモノ。解釈とか演出とかの問題以前に一体全体芝居の体をなす日はくるのかと不安になる。まあ、でもやりますよ。やらなくてはね。ああ。俳優教育。それにしても。
 家に帰ったらフラジャイルの小里くんから「ト書き」の女流劇作家の対談が送られてきていた。忙しいだろうに、そういうところ、不思議にマメな人である。さっそく読んだのだが、今、ここで、この時期に、こんなに紙面を使って話すべきことなのか、コレ、などと思ってしまう。話はそれるが、わたしは男性的視点だけで社会を運営していくのにはもう限界が来ているな、と思っていて、そういう意味でぜひ女性的な視点の持ち方を男性にも知ってもらいたいとは思っているんだけど、こういう女性同士の対談を読むと「男性より女性のほうが優れている」的な発言が飛び出すのは一体どうしてなんだろうか。「どちらが優れているか」という観点自体がすでに男性社会に飲み込まれているのでは、とわたしは思う。女性は男性の視点について学び、男性も女性の視点について知り、複眼的に社会を見ていくことが必要と思うがいかがか。

3月11日 Mon

 9月11日以降、新作を書いていない。準備していたプロットも書きたかった題材も全部破棄してしまった。そのことについてずっと考えていたのだけど、それは当然のことだ、と今日気付いた。あの日に起こったこと、そこから続いていることは、私の何かを大きく損ね、それはきっと取り返しのつかない類のことなのだ。だとしたら、新しいものを書くためにそれなりの時間と思考を必要とするのは、しごく当たり前のことではないだろうか。もちろん、テロについてとか宗教についてとか戦争についての新作を書くわけではない。見た目には何の影響もないものになるかもしれない。けれど私にとっては細胞を入れ替えるような作業を必要とするものなのだろう。そこまで考えて、不意に、「私はすごく悲しかったんだ」、と思った。それは義憤とか同情とかとは無縁の、ごく個人的な体験として。無責任に悲しんではいけない、という思うが故に規制がかかり、どこか体の深い深い場所でせき止められていたのだ。そして、テレビをつけると、今日は丁度その日から半年たっていたのだ。半年。長いとも思え、短いとも思える、という常套句は書きたくない。アッというまだった。一瞬と言ってもいい。書くだろう、と思った。書くべきなのだと思った。損なわれたこの場所から。どうしたって書くんだと、今日、そう思った。

3月10日 Sun

 自転車に乗って中目黒、代官山散策。なんでそんな似合わぬところに出掛けたかと言うと、食卓用の椅子を探しに行ったのだ。現在使っている椅子は高さが合わないのか、食事している間中不愉快でかなわない。そして、詩森は自他共に認めるインテリア好き。せっかく椅子を買うのならユーズド家具の宝庫であるあの辺りに行ってみたい、ということで、出掛けたワケだ。それにしてもさ、椅子って高いのな。ビックリだよ。一脚4万とか5万とかするのもザラね。さんざん探して、結局一軒目のお店に舞い戻り、車のシートを作っている会社のデッドストック物だというスタックキングチェアをゲット。値段もリーズナブルで座り心地も抜群。私たちが買った一分後くらいに買おうとしたカップルがいて、売り切れと聞いてショックを受けていた。わたしの人生は通常だいたい立場が逆なことが多いので、意味もなく恐縮してしまう。小市民の休日である。

3月9日 Sat

 赤字補填のためのフリーマーケット。天気は快晴。そんなに素晴らしい商品があったというワケでもないのだが、午前中のうちに完売と言っていいほど売れ続け、フリマ史上最高の売上をマーク。4時にフリマを終え、久しぶりに春の洋服など見に行く。この春はヒッピー風のファッションが流行っており、日頃ヒッピーっぽい格好をしていることが多い詩森としては、そんなものが流行ったらお金がいくらあっても足りないよ、と思っていたら、なんか悪趣味な服ばかりで気に入らない。しかもどこの店に行っても同じ服を売っているのは何故だ?というワケで何も買わぬまま帰宅。この春はフリマの売れ残りから貰ってきた服で暮らすことに決める。それは、とどのつまり、いつも通りってコトか。

3月8日 Fri

 深夜、家畜仲間でもある某男性劇作家と長電話。何か失礼なことも言われた気がするが、粛々として進まぬ脚本を執筆中の彼のことを思いやり、毒舌は控えめにして堪え忍ぶオトナなワタクシ。その後、深夜にも関わらず鳥を放鳥していたことを菅原さん(詩森夫)に見咎められ、電話を切った後、延々と説教される。オトナなのに。トホホ。

3月7日 Thu

 ワークショップがはじまった。俳優の仕事について、演出の仕事について、そして俳優と演出家のあるべき関係について、テキストについて、テキストと俳優のあるべき関係について、考え続けましょう、と挨拶。自分に言い聞かせているみたい。まあ実際そうなんだけどさ。でもさ、スタンダードがなさすぎるよ。なら自分で考えるしか、ないじゃん。
 そして今日は「カラダ」の日。立ち方とか歩き方とか座り方とか背骨の位置の確認とか腕と肩胛骨の関係とか内蔵の感覚とか抽象と具象の話とか。ワークショップって苦手、と思っていたけど、けっこう面白いかも。

3月6日 Wed

 向田邦子対談集読了。上等な女というのはいるものだ。

3月5日 Tue

 掲示板で指摘があったので書いてしまうが、オススメの政治学者の本とはカレル・ヴァン・ウォルフレンの「日本という国をあなたのものにするために」という本である。これは数多ある外国人から見た日本への提言書のひとつではあるのだけれど、論旨が明快で、客観性と示唆姓に満ちていて素晴らしい。タイトルはほんとうにどうかと思うが、政治論であると同時にすぐれた日本人論であり、組織論であり、演劇ともけして無縁ではない。日本人は日本人のダメなところを指摘されるのが大好きで、「ここがヘンだよ日本人」という詩森にとっては一瞬チャンネルが合っただけで寒気がするほど大嫌いな番組もあるくらいだが、そういう日本人ダメダメ論とは一線を画した名著。必読。

3月4日 Mon

 実は寺田くんが入院していたのでお見舞いに行こうと予定していたら退院しましたとメールが来た。なんでも手術が思ったよりうまくいき、痛みもなかったのでヒマで仕方なく、「病の記憶」へのダメ出しを病院で書いていたのだそうだ。「送ってもいいけど、文章だとキツすぎるから今度口頭で言う」とのこと。あげくの果てに「あんたの芝居を続けて読んだら思った以上に食べ物ばっかり出てくんのな」と言われる。ああ、そう言えばそうだな。そうだけどさ。それにしてもキツすぎるダメ出しとはいったい。
 夕方、駒場アゴラに契約に。11月末から12月始めの2週間。予約金も納める。あああ。契約しちゃった。やるんだ。あの大変そうな企画をほんとうに。その後、現在計画中のとあることについて、アゴラの中埜氏、ortの倉迫氏、ユニークポイントの山田氏交え、ミーティング。あたしってば精力的。なんかさー、どーでもいいけど、精力的って馬鹿みたいぢゃありませーん?
 その後、山田氏と食事に行き、「制作的には新作を書くべきタイミングなんだけど書いてもロクでもないことになりそうなときどうするか」などという話をする。私自身テロ以降新作を書いていなくて、しばらく書く予定もなくて、スランプとかそんなじゃないけど、今は書いちゃいけないな、と思っていて、でもそーゆーのってタダの怠惰なんだろうか。書きたくないから書かない、なんていうご身分じゃまだなくてとりあえず書きまくらなきゃならないんでしょーか。などと話して帰り際、先日アゴラに忘れたカメラを引き取ることをまた引き取り忘れたことに気付く。アゴラ、2日連続で行ったのに、なぜ?

3月3日 Sun

 一日、アゴラ劇場。reset-Nの「黎明」と田野さんという方が演出した英語バージョン「Down−rei-mei」を見る。「Down」は思っていたよりずっと戯曲に忠実なものだったし、どこかしら学生のような風情の俳優たちで演じられていた。しかし、あたりまえのように身体と対話はきちんとあり、かの国の俳優というものの層の厚さを思い、自国の演劇状況との差異について考えざる得なかった。
 「黎明」は初演を見ているが、初演には存在していた「俳優同士が向かい合う意志」のようなものがすっぽりと抜け落ちてしまったような舞台であった。そんな中、町田カナさんは俳優としての格の違いのようなものを見せつけており、一場面の出番なだけに逆に奇妙なほどであった。

3月2日 Sat

 風琴工房のオーディション。結果についてはまた後日。風琴工房らしいヘンテコなオーディションになってしまったが、いい出会いはあった。出会いがあったということが、何か人生というものの残酷さそのもののようで怖ろしい。「私」、という存在が入れ替えがきかないのは「私」にとってだけなのだ、というような、まあごく当たり前のこと。1月の公演が終わってからずっと、厭世的な気分が抜けなかったし、それは現在も続いてはいるのだけれど、その気分に押し流されても自分がただ不在になるだけだ、というようなことを思った。
 思ったより早く家に帰ることができたので図書館へ。利賀の演出家コンクールの台本を3冊借りだす。これで全ての脚本を読んだことになる。個人的に好きだったのはアラバールとイヨネスコだが、女性が2人ないし3人出演するとなると、テネシー・ウィリアムズか別役実しかない。もちろん男性を女性が演じることも演出家コンクールである以上可能だが、今回はそういったジェンダー的な視点は一切排除したいと思っているので、やはりその2つから選ぶしかないであろう。テネシー・ウィリアムズは女性演出家が演出するといかにも、となりそうなほど女臭いし、かといって詩森が別役、というとあまりにトゥーマッチな気もする。悩ましいところだ。まあ、それも審査にうかって出場することができればの話なので、そんなに悩むことでもないのかもしれないが。

3月1日 Fri

 品川である人に会っていろいろ話。他人の人生に対しては、当然のことながら自分の人生に対して以上に無力だ。


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